児童養護施設支援の会

親と離れて暮らす子供たちを応援します

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児童養護施設支援の会・鹿妻ボランティアチーム        電話番号 090-9202-5550 
   ★事務所 東松島市矢本字鹿石前116-1 鹿妻学供内   ★資材倉庫 「野蒜小学校」東松島市野蒜字亀岡80番
  
 災害支援活動報告(月別) 2011年3月  4月  5月  6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月     
 
            ご報告      野蒜小学校体育館・校舎の清掃を当会で行いました。衣類、小物、靴などは全て洗浄し、
               保管しています。お探し物のあります方はご連絡下さい。    090-9202-5550
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  当会で鹿妻拠点に使用していたプレハブ2棟は以下の場所に寄付し、有効利用していただいています。
 
野蒜市民センター倉庫(野蒜小学校敷地内)                                                牛網地区被災者の方
      
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新しいホームページ制作中のため、更新が遅れます。
詳細は 「スタッフ照屋のブログ」  を参照ください。                   
 
2月16日
 
 
2月15日
朝、スマイルダイニングに。
仙台に行く用事の前に、立ち寄って少しお手伝いして、お弁当を食べてから出発。
写真は「仙台放送・西村さん」
すっかり顔馴染みで、照屋のブログでも見ている人から
「あっ!あのおっさんだ!」
と言われる程有名人に。
 
「教育を考える親達の会」の川村さんのお手伝いで、仙台から支援物資を運搬。
こんな時当会はトラックを持っているので重宝されます。
 
「東松島復興協議会」に参加しているみんなで、野蒜の亀岡学供に搬入。
 
最後に集合写真を。
後列右から
「教育を考える親達の会・代表川村さん」
「プラスネオ・代表中村さん」
「くれ災害ボランティアセンター・西田さん」
「アイキャン・近藤さん」
「CFF・金須さん」
で、照屋さん。
 
今日はこの後、東名の浸水域でお墓探しをしましたが、猛烈な寒風吹きすさびギブアップ。
それでも5~6個の墓石を見つけることが出来ました。
 
2月14日
鹿妻の事務所に「額」が届いた。
野蒜小学校の校章を飾るための額。近々届けたいと思います。
 
エルムインターナショナル様から届いた沢山の「鉛筆削り」
才川さん、有難うございます。
昨年も多くの児童養護施設へと届けることが出来ました。
今年は被災地の子供たちを中心に、配って行きたいと思います。
 
赤井地区センターに「復興祭の旗」を受け取りに行きました。
渥美センター長さん。復興祭、木の伐採とすっかり顔なじみになりましたが、
今年で退職するそうです。
渥美さん、お疲れ様でした。
写真を撮るとき手を差し出して下さいました。嬉しかったです。
 
復興祭の旗を届けに今度は小野市民センターへ。
来月の復興祭の打合せ。
写真は門馬さん。
この市民センターが大規模な避難所だった頃からのお付き合い。
本当に当時から一生懸命頑張っていて、限りなく元気なのが印象的でした。
阿部さんを紹介してくれたのもこの方です。
色んなところで色んな人との繋がりが、一つ一つ生まれて行きました。
 
僕らの活動を追って歩いて下さっている、「仙台放送・西村さん」
今日も鹿妻にやってきました。
僕が取材を拒んでいるので、毎回何も撮れずに帰ってゆきますが、
逆に僕らがいじり倒して写真をバチバチ撮ってます。
根気強いですね。
面白い人です。
 
野蒜小学校に行き、最後(三枚目)の看板取り付け。
昨日の経験が生かされ、今日はスムーズに取り付けられました。
 
鉄骨にドリルで穴を開けます。
 
看板の取り付け。
 
東名の田んぼ。
堤防が決壊し、海のようになっていましたが、多少は水が引いてきました。
お墓から流出した墓石が、沼のようになってしまった田んぼの中に沈んでいます。
傷を付けないように、一つずつ拾い上げます。
 
どこまで出来るかわからないけど、少しでも多く見つけてあげたいです。
 
 
2月13日
朝野蒜小に看板を取りに行くと、プラスネオのみんなが物資の搬入をしていたのでお手伝い。
いつも手を借りていますからね。
 
いつも頑張る中村代表。
 
みんなで最後に集合写真。
いつも照屋が写っていないのは、カメラを持っているからです。
 
野蒜小学校(仮設)に行き、「東松山チーム・小熊さん」が書いてくれた看板を設置しました。
先ずは道具を揃えます。
 
裏側から金具をビスどめ。
 
ドリルネジでトタンの壁に打ち付けて固定します。
 
完成。小熊さん、ちゃんと届けましたよ!
 
中型の看板は玄関に。
こっちの方がむしろ手こずりました。厚い鉄骨にドリルで穴を開けることから。
 
途中復興協議会の西田氏もやってきて、手伝って下さいました。
 
今日の浜市小学校にて。アニモ・プロジェクトの学生グループと。
一番左は菊池さん。以前仮設住宅の自宅にお呼ばれして、夕飯をご馳走になりました。
息子さんやご主人さんとも交流がある、元野蒜に住んでいた方です。
 
2月12日
朝鹿妻のセンターに姉歯さんがやってきて、「鹿踊り」の装束などを積み込んでいたのでお手伝い。
今日は桃生の公民館で部落の伝統芸能などを保存する為の会合が行われます。
姉歯さんは元市議会議員さん。この鹿妻に古くから伝わる「八鹿踊り」を継承保存するための
保存会会長をしています。
会長に呼ばれて、午後はこの会合に行くことになりました。
 
朝一スマイルダイニングへ。
お手伝いと自分らのお弁当を受け取りに。
 
保存会会長の姉歯さんと。
鹿踊りの展示場前にてお話。
東松島市役所の市民生活部の「相沢さん」にもバッタリ会いました。
相沢さんとはこれまでにも会っていますが、今日初めて名刺交換。
 
この鹿踊りの装束に使われる頭部は、大正の頃に作られた古いものなのだそうです。
角は本物の鹿の角が使われ、左右対称なのは一本の角を真ん中で割っているそうです。
鹿妻の宝物といえます。
僕らが寝ている隣の部屋にいつも置いてあります。
 
野蒜小学校へ行き、再度看板の設置場所の寸法を測りました。
 
ホームセンターで金具の購入。
思ったより苦労しそう。
 
2月11日
今日は照屋は早朝からスマイルダイニングのお手伝いに。
お二人、いつもこんな風にお仕事しています。
がんばれー!阿部さん二宮さん!
 
僕はその頃、プラスネオの中村氏と一緒に東名の民家へ。
以前届いた熊本からの支援物資「半畳たたみ」がどのように有効利用されているのか、
取材をしたいと、熊本からのテレビクルーが来られました。
役所に頼まれ、僕と中村氏でご案内。
中村君、ずいぶんと地元に馴染んできて、しっかりと活動をしているのが見て取れました。
取材先のコーディネートに協力していただき、有難うございます。
 
実は
「ありがとうございます」
とカメラの前で言わされるこの様な取材は、被災者の方には繋ぎにくいものなのです。
民間団体である私たちの役割は、この様なところにあるとも言えます。
 
民家二軒と仮設住宅の集会所を一軒取材して、カメラクルーは帰りました。
 
その後照屋と合流。
仙台市で行われた「人権シンポジウム」に招かれて参加。
 
野蒜小に行き、昨日塗ったニスの上に再度二度塗り。
これで乾けば出来上がりです。あとは取り付けるだけ。
 
2月10日
スマイルダイニングのお手伝い。
野蒜小学校などの作業の後、夜は地区の区長さんや地域の方にお呼ばれして外食をしました。
普段はなかなかこの様な時間は持てませんが、打ち解けた雰囲気で雑談ができるって良いことです。
すっかりご馳走になりました。
 
野蒜小学校へ。
毎週5日(月~木)の間、浜市小学校と野蒜小学校(どちらも津波被害により仮設運営)
に学習支援と職員の作業補助に来ている、東大の高尾君グループ「アニモ・プロジェクト」とお話。
来月以降の保育所での幼児向けイベントの企画について調整しました。
高尾くんたちのグループは、4月からずっと当会のガレキ撤去に参加しています。
各お祭りにも協力いただいたり、現在はこの様に、子供の支援に注力しています。
 
当会はこのグループの活動にあたって、現地での宿舎やスケジュールの調整を行なって現在も深く関わっています。
代表の高尾君、熱くて面白いいいやつ。そしてメンバーもみんな真面目でいいやつ。
 
東松山チームの書家の先生、小熊さんに書いて頂いた「野蒜小学校」の看板。
野蒜小学校の校長先生、教頭先生みんな喜んでいました。
これを一旦僕らがお預かりします。
ニスを塗って設置までを、当会で行います。
 
書いてくださった小熊さんは、野蒜での瓦礫撤去作業にも参加しており、野蒜小学校のこともご存じでおられます。
野蒜の復興祭にも東松山チームとして参加しています。
なので、この看板の依頼を受けて筆を持った時には、心が震えたとおっしゃっていました。
小熊さん、本当に有難うございます。
これを見たとき、僕は涙が出るほど嬉しかった。
 
広い作業場が必要なので、旧野蒜小の資材置き場へ行き、ニス塗りの作業。
 
一度塗った状態で今日は終わり。
明日重ね塗りします。
 
当会の宿舎に借りている鹿妻のセンターでは、踊りの稽古が行われていました。
 
「あ~らお兄さん」と、お母さん方みんな元気です。
 
1月30日
早朝照屋は起きだして、スマイルダイニングのお弁当作りに出かけました。
今回の滞在最終日、私は仮設住宅に出かけて、復興協議会の方々と先日届いた「みかん」のお届け。
協議会のある「あったかいホール」出かけて、今後の打ち合わせを少し。
例年にない大寒波の影響で、水道管の凍結やら、仮設や民家を問わず問題が噴出しているようです。
市役所復興政策班に出かけると、先日まで「インフルエンザ」で休養していた石垣さんを見つけ、今後の
活動内容について打ち合わせをしました。
ちなみに、鹿妻の拠点も風呂が凍結していて使用できません。
昼ごはんにスマ弁食べて、地元の方のお宅で更に食事をごちそうになった後、夕方被災地を後にしました。
 
1月29日
大澤さんからみかんが届きました。
翌日、復興協議会の方で「鷹来の森・仮設住宅」に届けて下さいました。
大澤さん有難うございます。
 
松島の店舗の電灯不具合を最終点検。
 
強力な助っ人「木村さん」が来てくれました。地元石巻の方。
さすが電気屋さん。すっぱりと直してくれました。おまけにグリーンタウン仮設住宅で
アンテナ設置で作業していた酒田組の応援に行き、そっちの方も手伝って下さって、
もう感謝感謝です。
また何か困ったら呼びますからね。覚悟してくださいね。
一緒にSDのお弁当食べました。
 
今日昼から「鹿妻地区センター」にて、CFFの提供で行われた「餅つき大会」
近隣のみなし仮設の方々も招いて、子供たちを含めて結構な人数が集まっていました。
僕の隣の女性は「長友さん」
あの「西地区復興祭」で、デジカメを無くしてマイク放送されていた方です。今日知りました。
あれ、見つけたの僕ですよ。
そう考えると長いお付き合いになりますね。
今後も頑張ってください。
 
東松島復興協議会に行くと、参加団体の若手(?)達が集まっていました。
くれ災害ボランティアセンター、プラスネオ、蓮笑さん。そして私。
 
1月28日
「野蒜小学校・げんきまつり」の日。
待ちわびたげんき祭り当日。
野蒜小学校の子供たちはどれ位元気を取り戻したのだろう・・・・。
震災後この小学校を見てきた僕は、この日の朝は不思議な感覚になった。
 
すごかった。
すごく良かった。それしか言いようがない。こんな小学校のお祭りはこれまで見たことがなかった。
僕らボランティアは何も手助けしていない。
子供たちと職員の先生達で作り上げた、本当の野蒜小学校のお祭り。
みんな一体になって、みんな泣いたり笑ったりして、みんな楽しんでいた。
良かった。本当に良かった・・・・・。
 
レインボーアートの発表。
プレハブ造りのモノトーンの仮設校舎に、ひときわ目立つ子供たちの絵。
 
聖火の点灯式。
子供が読み上げた心からの声。
 
「怖かった、寒かった、悔しかった・・・・・」
その日の事を思って書いた詩。
ふるさと野蒜を思う子供たちの思いが、寒空に遠くまで透き通って届いた。
 
開会の後、校舎内にて様々なイベントが行われていた。
みんな手作り。空き缶を積み上げて競争したり、モノマネをさせて商品を配ったり、お化け屋敷や迷路まであった。
校長や教頭が言っていた、
「当日は是非、楽しんで行って下さい」
の言葉通り、心から楽しめるコンテンツが盛りだくさんだった。
 
震災後に創作された、「野蒜復興太鼓」
震災後の悲しみから少しずつ立ち上がって行き、やがて大きな力となって復興する流れを表現している。
気がついたらまた泣いてた。
 
廊下に飾られた色紙。
野蒜にぴったりの言葉が綴られていたので、撮らせてもらいました。
 
げんきまつりの最後。
子供たちみんながフーセンを持ち、それぞれの願い事を紙に書いて空に放った。
 
青い空に舞い上がった風船。
 
飛んでけ風船。どこまでも飛んでいけ。
そしていつか形となって、子供たちの元へと舞い降りてこい。
 
 
1月27日
仮設の野蒜小学校へ行き、寄付などのお話を少し校長先生と。
あす行われる「野蒜小学校元気祭り」について、「お手伝いできること」を訊ねると、「大丈夫です」との返答。
ちょっと残念でしたが、当日その意味を知ることに。
 
野蒜小学校では子供たちと職員で素晴らしい「元気祭り」を用意していました。
僕たちはあくまで「ゲスト」として、このお祭りを楽しませてもらいます。
 
依頼を受けている赤井の民家敷地に行き、10メートル位の枯れ木を一本倒してみました。
「へっぴり腰」になっているのは、決してチェンソーが下手くそなのではありません。
膝や尻が濡れるのが嫌だからです。
震災当初はドロドロになってやっていたのに、ヤワになったものです。
 
まずは一本倒してみました。この後雪が吹きすさぶ、ものすごい寒さのため中断。
帰ろうとするとトラックがスタックしたりと酷い目に遭いましたが、重機で押し出して
穴から脱出。いやぁ重機には本当に助けられています。
 
庭石の運搬作業。
野蒜で元々庭師をしていた菊池さん。ご兄弟でユニックを使い、野蒜から庭石を運んでくれました。
さすが専門家です。酒田さんは元鳶職ですから玉掛けも出来るため、僕の出番はあまりなく、
交通整理にあたっていました。
 
氷点下の中ものすごい寒さでした。体ガシガシ動かしている方が楽かも。
 
1月26日
朝、車に積んであったダンボールを野蒜小学校へ。
 
その後松島へ向かい、かつての店舗作業の一部手直し。
電灯配線をやり直してみるもののつかず。
日曜日に知り合いの方が来てくれるそうです。
 
東松島市役所・復興政策課の事務所に貼ってある「ボッシュ花壇づくり」のポスター。
写真上の前列右から三人目に私がいます。嬉しいですね。
復興政策課の棚には、広報のほか、当鹿妻チームが災害当初から取り組んできた活動風景の写真が、
A4判の写真に印刷して置いてあります。
ご覧になりたい方は市役所にありますので見てください。
9月位までのものですが、大まかに抽出してプリントしたもので50枚位あるかと思います。
 
赤井地区の現場の下見に行きました。
広大な敷地も、塩害によって枯れ果てた樹があるのみです。
この写真の他にも、大きな杉やら沢山あります。
 
野蒜小学校の坂を登るとき、活動中の「プラスネオ」を発見。
野蒜小学校の倉庫に置いてある段ボールを片付けてくれていました。
お疲れ様です。
 
復興協議会のある「あったかいホール」へ。
宮城大学から参加している方々と、ほんの少しパソコン講座。
赤井地区の黒田さん。ピアノの撤去作業からの縁ですが、復興にも尽力しているのですね。
 
1月25日
今日は朝野蒜小学校へ。朝は車も凍りついていました。
今日は畳の運び込みと、お守り作り、それから遺児の支援に御宅に伺いました。
畳の搬出と配布のため、川村氏(教育を考える親達の会)、プラスネオ、蓮笑さん、鹿妻ボランティアが集まりました。
4台の車両に積込み、東名、大塚、小野の集会所に配布。
写真は川村氏と搬入した「小野(牛網)」仮設住宅。
参加した皆さん、行く先々で知り合いの方に合うことが多く、
被災者のみなさん気楽にお声をかけていただきてありがたかったです。
 
東名地区配布作業
4団体の代表者が集まり、共同で作業を行う事は、今後につながる非常に良い活動であると思います。
小野仮設住宅。
この仮設の集会所に畳を搬入しました。
教育を考える親たちの会・代表川村氏。
僕は夏ごろからのお付き合いになりますが、山田住職のお知合いとのことで、それよりかなり前から私の事を
聞いて知っていたそうです。世の中狭いですね。見るからに温厚そうな方。
 
 
1月24日
今日も引き続き昨日の現場へ。
朝から夜までずっと氷点下(多分)
東名運河は凍り付き、夕方引き上げるときにも凍っていましたから。
今日も酒田さん、照屋、プラスネオ、連笑さんで作業。
お手伝いしてくださってるネオさん連笑さん、有難うございます。
私の隣の酒田さん。
ボランティアの中で、唯一「尊敬している」と言える人
この人にはかなわない。発災五日後には避難者を風呂に入れる環境を作ったすごい人です。
広く発表するなどの様な、功績への評価も一切求めず、一人一人の被災者の思いを深く組み上げて
野蒜地区の被災者が鳴瀬一中に居る頃から寄り添って、信頼を構築してきました。
行政や公的機関ともほぼ距離を置き、自らの資産と時間を使って、震災支援に身を投げています。
こういう人こそ、被災地には必要であると思っています。
 
朝の「東名運河」白鳥が歩いてコケていたそうです。
 
1月23日
朝から野蒜へ。
2トントラック、軽トラ、ユンボー、セーバーソー、発電機、コンクリートはつり機、ディスクグラインダー
など、久しぶりの重装備。
野蒜の被災者宅へ。
事情により現場の写真は載せませんが、酒田さん、私、照屋、地元の菊池さんで作業。
午後からプラスネオさん、蓮笑さんが手伝いに来てくれました。
 
1月22日
お守り作りと事務作業。
当会の活動にと支援金を寄せてくれた森ちゃんのお母さん、有難うございます。
森ちゃんの方からその他に、野蒜小学校へと寄付金が送られる事になりました。
 
1月21日(編集途中)
今日は朝から小野市民センターへ。
子育て支援センター「あいあい」のイベントが行われるため、そのスタッフ補助等お手伝い。
「森ちゃん・馬場ちゃん」が手伝いに参加してくれました。
 
鹿妻の事務所に届いた大きな生ハムとスライサー。立派な包丁も付いていました。
先日匿名の方から連絡があり、その方が送ってくれたようです。
送り状の電話番号にお礼の連絡をしてみましたが、繋がりませんでした。
食品の質や量、専用の加工器具等が付属しているため、このセットは地元で食品販売を始められた被災者の方に
お渡ししようと思います。
 
市内の子育て支援センターの方々、東松島市役所福祉課の職員さん、他のNPOの方々、学校の先生、
インストラクターの方、私たち4名で作業。
まずはじめにフーセンの空気入れ。
 
矢本西小学校の先生に指示を仰いで、ダンボールを運んだりつなげて並べたり。
 
開場。天候のせいでしょうか、思ったほど子供は集まりませんでしたが、来た子供たちはみんな楽しんでいました。
 
ぱぱビクスと言うそうです。
父親と一緒に子供が色んな体操をしています。
他にも色々ありましたが、写真を撮り忘れました。スミマセン。
 
片付け作業。
 
段ボールはこわして搬出。
 
市役所の福祉課の職員と一緒に、ダンボールなど廃棄物を一時保管場所へ。
 
今は使われなくなった牛網保育所(鳴瀬地区保育所の仮設建物に併合)。
ここでも1.5メートル位の波が来て、保育所の先生方は児童たちを、物入れの天袋に押し上げてなんとか
助かりました。今でもその時の水位の跡がカーテンに残っています。
 
保育所の運動場。ガレキなどはすっかり無くなりました。
今後どうなるのか、市役所の方と少しだけお話をしました。
市役所の方々は震災以降、本当に一生懸命頑張っておられます。
被災当初の活動や避難所の整備、挙げればきりがないほど、様々な場面で時間を問わず動いています。
こうしたイベントなどでも、見えない裏方で体を動かしている職員を見ると、
「えらいなあ」と思います。
物資の運搬やら避難所解体やらとこれまでお手伝いしている私たちは、被災地の職員の色んなご苦労が見えてきて、
意外と市民に見えない部分が多いことを知りました。
頭が下がる思いです。
 
1月20日
今日はお守り作り、書類整理をしていると、「ミニデイ」の方々が宿舎に来て、
地域のご婦人方と踊りのお稽古。
照屋は着付けが出来るため、帯の結び方を教えていました。
 
昼から2トントラックと軽トラで「東松島復興協議会」
のある、「あったかいホール」へ。
電気カーペット、加湿器、除菌スプレーを赤井地区の方々に配布するため、
二台のトラックに積み込み、そのまま「柳地区センター」へ。
復興協議会の参加団体の内、5団体が今日の作業に参加。
 
私が2トントラック、照屋は軽トラックを運転。
 
満載にして「柳地区センター」へ。
積みきれずに二回往復積み込み。
 
柳地区センター。地域の方に配布します。
 
左から、川村さん、木村さん、僕、西田さん。
今までにも顔馴染みの皆様ですが、今日は配布作業の合間に色々とお話が出来たので良かったです。
今回の支援物資は複数の団体や自治体から寄せられたもので、
復興協議会で配布しています。
配布作業中に地域の方がいらした中で、僕がかつてガレキ撤去や復興祭イベントで知り合った人にも
何人かお会いすることが出来て、
「高橋さん久しぶりです」
と声をかけて下さいました。嬉しいでものですね。
 
1月19日
野蒜小学校、鳴瀬地区保育所、子育て支援センター(あいあい)、野蒜市民センター
野蒜小学校に行きマット敷き。前回やり残した部分を完成させます。
先ずは職員玄関から。
 
並べてはめ込み作業。
 
これに「ヘリ」を付けて、職員用の玄関は出来上がり。
 
次に前回設置したマット(児童用校舎玄関)に継ぎ足して設置。
 
完成。古い部分との色の違いがハッキリ判ります。
 
野蒜小学校から木の板を預かって来ました。
仮設にて運営の始まった野蒜小学校には、学校の校名を記した立板がありません。
教頭先生に相談されていたのですが、東松山チームの松本先生にお話したところ、
書家の先生の方に繋いで下さいました。
この板を埼玉に運び、書き込んだ後持って来るという事に決まりました。
野蒜小のみんな、もう少し待っててくださいね。
 
先週寄付を仲介した経過状況を聴きに、鳴瀬地区保育所へ。
以前「愛知産業大学・工業高等学校」の職員さんから僕に連絡がありました。
「バザーでの売上と教職員の方々で集めた現金を、どこか被災地の児童に役立つ寄付をしたい」
「鳴瀬地区保育所」をご紹介したら、先週土曜日に届けに来て来れました。
寄付金額は16万円。
こうして仲介することで、支援者が直接寄付者に届けられる事はとても良いことです。
 
21日に行われる「あいあい」のイベントで、子供たちが遊ぶ迷路づくりのため、
材料の段ボールを積込み。
 
先日寄付した40万円の受領書を受け取りにセンターへ。ガレキの中から見つかった現金なので、
汚損や破損の状態がひどく、金融機関にて判定して貰い金額は下がったそうです。
届けられて良かった。
野蒜の財産は野蒜へ。
 
1月18日
石巻のホームセンターへ。
野蒜小学校(仮設運営)の玄関マットの内、足りなかった分を発注してあったので受け取りに。
鹿妻の宿舎に戻ると郵便箱に荷物が届いていました。
仏龕(ぶつがん)と言うそうです。
先日身内の法事のため伺ったお寺の和尚さんが、東京からわざわざ送ってくれました。
小さなお仏壇の様な形になっていて、中には細かい細工が施されています。
不勉強な私は仏教のことも良く解っていないので説明は省きますが、
「どこでも持ち歩いて、手を合わせたい時にそれが出来る」ということ。
全部手で彫ってあるそうです。
ものすごい精細な彫り物ですね。キレイな金の袋に入っています。
被災者遺族の方で欲しいと言う方に、とのことです。
 
野蒜小学校の体育館を掃除した際、僕はこの大きな校章の入った緞帳を、
捨てることが出来ずに取って置きました。
あの悲しい出来事のあった場所に飾られていた校章。
この校章は大きな額に収めて、野蒜小学校にお戻ししたいと思っています。
 
1月13日
都内にて、震災遺児の支援活動を一緒に行なっている「リンクマックス」の小野社長と会う。
先月東松島まで来てくださった、「松田陽子」さんのライブが六本木で行われたので、ウチの家族3人で
ご招待戴きました。
沢山の著名人や大企業の社長さんにご紹介していただきましたが、僕のペラペラの名刺なんかと
交換してい良いものだろうか・・・、というような方々ばかり。
みなさん被災地への何かしらの支援をしたいと考えておられる方が非常に多くいらっしゃって、
現地にて活動している僕の話に、耳を傾けて下さいました。
 
「届けどころに困っている善意」というのを、実感した時間でもありました。
小野さん夫妻をはじめ、今日お会いできた全ての方々に御礼申し上げます。
 
松田陽子さん、ステージ素晴らしかったです。
 
1月10日
照屋と二人でお守り作りの後、東松島市牛網にある、子育て支援センター「あいあい」に行きました。
矢本にある同じく子育て支援センター「ほっとふる」の職員さんとお話をして、
初めてここの事を知ったのは11月でした。
「国際エンゼル協会」につないで、備品などの寄付を仲介しました。
 
床のマット、畳、サークルソファー、カシオトーン、CDラジカセ、パンフレットスタンドが、「国際エンゼル協会」から寄贈されています。今日は「あいあい」の職員さんとお話をして、今後に控えているイベントの支援協力を決めました。
 
「くれ災害支援センター」から派遣されて東松島にて活動されている「西田さん」と一緒に、
仮設での運営が始まった「野蒜小学校」へ。
西田さんは図書カードの寄贈。私は遺児の支援などについて、校長先生とお話させていただきました。
 
1月9日
学校や役所が休みなので、 午前中お守り作り。
、「がんばろう日本・東三河委員会」の方が、わざわざ豊橋から私に会いに来てくれました。
副代表・高柳氏、事務局長・高島氏のお二人。
当会の被災地活動への資金として、75,686円の寄贈をしていただきました。
お二人ともかつて、5月ごろでしたか、この鹿妻チームにボランティアに来てくださった経緯があり、
豊橋の方で行われたチャリティの募金を、被災地で活動する団体にと、当会を選んで下さいました。
非常にありがたいです。
お二人とも気さくで人当たりの良い方です。
 
その後、プラスネオ、蓮笑の各団体のメンバーにお手伝い戴いて、旧・野蒜小学校からの畳の運び出しを行いました。
もうすっかり顔なじみの皆様。
友達のように接して、何でも協力し合っています。みな熱いやつら。
 
当会で保有している資材のうち、最近はあまり使用していないものを、地域の農家の方にお譲りして
配ることになりました。
大量にある「猫車」「軍手」「フォーク」「スコップ」
どれも初期の頃大量に買い集め、また寄付されて集まったものです。
ガレキ撤去がほぼ終了してきたため、必要な数のみ残して、農家の方に使ってもらいます。
 
1月8日
朝起きると外は真っ白。大雪。畳の運搬はまた後日に延期。
少しお守り作りをしていると天気が良くなり、大曲浜保育所へ。
以前保育所所長より頼まれていた「保育所の看板」。クリスマスに市内の公共施設8箇所に
ツリーの設置を仲介した「バウハウス」の方々に作成を依頼していたのですが、それが今日届いたのです。
仮の施設として運営しているため、看板もポストも無かったこの保育所。
ポストは8月頃僕たちで作って設置。看板は縁のあったバウハウスの方々に頼みましたが、正解でしたね。
この方たち元々こういうのが本職ですから。
もの凄いクオリティ高いです。保育所らしい可愛さも充分。
バウハウスの音羽さん。当会の看板も作ってもらえないですかね・・・・(笑)
当会の会員であり、NPO法人後の役員理事でもある、「渡部見さん」が東松島にボランティアに来ました。
当会は既にガレキ撤去などの人集めを終了しているので、「プラスネオ」さんの方で今日は活動していました。
現場の野蒜小学校近辺に会いに行き、昼食を一緒に食べながら少しだけですけどお話をしました。
プラスネオの中村さんに頼まれて、排水路に落ちた大きな石を重機で持ち上げる作業にお手伝い。
ネオ代表の中村さんがカメラを持っているので写っていません(笑)
撮れた集合写真下さいね。緑の上着にヒゲの方が当会の渡部見さん。
写真で僕が来ている白黒の「ナイキのジャンバー」は、4月頃ガレキ撤去に行った先で、泥にまみれて出てきたもの。
おばちゃんに聞くと
「息子のだったけど、ドロドロだから捨てるしかないっぺ」
というので貰うことにしました。綺麗に洗って大事に着ています。
 
深さ2メートル以上あるマスに落ちた岩、人力じゃ無理ですね。
こんなときウチには重機があるため、非常に役立ちます。
この後、宿舎にしている「鹿妻地区消防団」の出初式の打ち上げに参加。
僕はお酒は飲まないので丁寧にお断りし、ごちそうだけ戴きました。この狭い部落の皆んなに歓迎されて、
どこで会っても声かけられて、漬物やら野菜やら色々届けてくださいます。本当に嬉しいですね。
 
夜、「東松山震災ボランティアの会」代表の松本氏が訪ねて来て下さり、これからの活動内容や方針、
共同で出来ることについてお話をしました。
東松山チームはこれまで、本当にお世話になっています。これからも良好な協力関係はずっと続くと思います。
 
夜は再びお守り作り。照屋さんこうした作業が上手なので助かります。大事なお守り、ミシンなどは一切使わず
全て手縫いで作り上げてゆきます。
 
 
1月7日
野蒜小学校のマット仕上げ作業、お守り作り、震災遺児の支援活動。
 
野蒜駅駅長、坂本さん宅前にてもちつきとバーベキューが行われました。
近隣にお住まいの方々が集まり、当会のボランティアでもおなじみの
「東松山震災ボランティアの会」が企画したようです。
私と照屋も、遺児支援の活動で移動中に寄らせていただきました。
甘酒やら鹿肉の焼いたのやら、ずいぶんとご馳走になってしまいました。右は松本先生、左は斉藤社長。
いつもいつもご苦労様です。
とりあえず外側のマットは完成。
後は屋内側の一部を後日設置します。
夜鹿妻の拠点地「学習供用センター」にて、地元の子供たちの新年会を兼ねた集まりがありました。
「食べてってけれー」
の優しい言葉に甘えて、照屋と二人ご馳走になりました。
 
 
1月6日
午前10時より、「東松島復興協議会」の会議に参加。昼過ぎまで。
午後、昨日の野蒜小学校マット敷き作業の続き。
下は、「東松島復興協議会本部」が置かれている「あったかいホール」に、先日当会より寄贈した
「無停電電源供給装置」
当会会員、石田さんの「ガスミックス株式会社」からの寄贈品です。
停電時にパソコンなどの電気機器がダウンしなくなります。
また、小型の家庭用バッテリーとして、一定の電力を蓄えることも出来るので、非常時には役立つでしょう。
昨日の時点で足りなかった資材を購入し、野蒜小学校へ。作業に取り掛かります。
マットの縁をはめ込んでゆきます。
ほぼ仕上がりました。
しかし一部の部材が、何故かビミョーに色が違った物だったので、その部分をホームセンターへ返却。
残りは明日以降にまた来ることにしました。
 
1月5日
津波の被害で校舎が使えなくなった「野蒜小学校」
プレハブ造りの仮設校舎に、今日から子供たちが通い始めます。
朝小学校へ。木島校長先生にお会いし、校長室でお話をしたあと、校舎の中を案内していただきました。
学校に入る玄関の前。写真の入口を入ると下駄箱があるのですが、入口で靴の汚れを落とすのが大変なようす。
早速大きなマットを手配することにしました。
資金をお願いしたのは「国際エンゼル協会」
震災以後、子供の支援において大変お世話になっています。
二つ返事で了解を得たので、午後から買いに行くことに。
仮設にての運営が始まった、「野蒜小学校」
木島校長先生に案内していただき、各教室内も見させて戴きました。
授業風景を廊下から。
あの、辛い震災を乗り越えた子供たち。
ここには親を亡くした子供もいます。
午後、ホームセンターへ。
照屋と二人、あれがいいこれがいいと話し合い。結局マットの色については、木島校長先生に電話をし、
決めて戴きました。
とりあえず二人で設置作業を行なっていると
学校から校長先生はじめ、教頭先生、他の先生方も集まってきて、みんなで手伝って下さいました。
なんかイイですね。こうして一緒の作業が出来るのは。
現在の宿舎「鹿妻地区学習供用センター」の風呂を繋ぐ作業。
このお風呂は、かつてここが避難所だった頃、私が埼玉から浴槽を運んできて設置したものです。
今は使われることはなく、私たちが使用させて頂くことになりました。
不思議な感覚ですね。
先日40万円(拾得物)の寄付をした「野蒜市民センター」に行きました。
支援物資の子供洋品などが余っているとのこと。
児童養護施設などで配布できればと、当会でお預かりすることになりました。
有難うございます。
 
 
1月3日~4日
震災遺児の支援のため、数件を訪問。
4日は開庁日なので市役所へ。
各部署を回ってご挨拶をしましたが、復興政策班の方々は来客対応中でご挨拶出来ませんでした。
被害にあって現在使用が出来なくなったままの市内の学校、野蒜小学校、鳴瀬第二中学校、浜市小学校の
今後の方針と有効利用について少しお話をしました。
今年私は
「明けましておめでとうございます」
と言わず、
「昨年はお世話になりました、今年もよろしくお願いします」
と挨拶するようにしています。
被災地の方々も、同じように応えておられる方が多いようでした。
石巻の病院へ行き、服用薬を処方。
 
1月2日
東松島着。
 
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